Nil Admirari(ニル アドミラーリー):何事にも心ぶれないこと

これは詩人ホラーティウス(紀元前65~8)の言葉です。”ニル・アドミラリ”…どこかで聞いたことがあるみたい…。調べてみると、夏目漱石が「それから」の中で「…彼は30になるかならないかのうちに”ニル・アドミラリ”の域に達してしまった」と使っていました。森鴎外の「舞姫」の中にも「ドイツにて物学びせし間に、”ニル・アドミラリ”の気象(=性質)をや養い得たりけむ…」という表現があります。なにかかっこいい感じがしていましたが、この表現がラテン語だったことが、今わかりました。

それらの表現から、私はなんとなく「ニル・アドミラリ」という言葉を、”何事にも無感動である”というネガティブな意味を感じていたのですが、実はそうではないようです。ホラーティウスはその著作「書簡詩」で”人生の幸福について”というテーマでこの言葉を述べ、「過度の歓び、過度の恐れ、いずれも慎むべし」ということを意味しているとのこと。彼はまた「中庸こそ金」という有名な言葉も残しているとのこと。生きる上では「バランス」が大切だと説いているわけです。

恐怖や不安、期待や歓喜などは、すべて自分の外側のことによって自分自身がぶれることから来る感情だと思います。”~になったらどうしよう”という不安から、”じゃあ、~しなくちゃ、~すべきだわ”と焦ったり、”わー、すばらしい”という感動からさえ、”それにひきかえ、この私ときたら…”などと、急に自分に批判的になったりして自ら不満を招きます。そんなとき、「ニル・アドミラーリ」とつぶやいてみると、われに返りますね。情報あふれる今の時代にはますます必要なことかもしれません。

ホラーティウスはまた、Carpe diem (カルぺ ディエム):「一日を摘め(今日この日を楽しめ)」という言葉も残しています。「ニル・アドミラーリ」「カルぺ・ディエム」、この二つの言葉によって、外から影響されず、自分の内に戻れば、心から自分の一日を楽しむことができる、ということを教えられます。平和は自分から始まるのですね。

  • nil:無、何もないこと
  • adomīrari:動詞adomīror 「感嘆する、驚く」の不定法「感嘆すること」
  • carpe:動詞 carpō「(花を)摘む」の命令法「摘め」
  • diem:名詞 diēs「日」の対格 「日を」

コメントを残す

WordPress.com で次のようなサイトをデザイン
始めてみよう