Tacere qui nescit, nescit loqui.(タケーレ クィー ネスキト、ネスキト ロクィー)
沈黙することを知らない者は、語ること(術)を知らない。
Tacere:「沈黙する」、quiは「~ところの者は」、nescitは「~ことを知らない」、loquiは「語ること」→ 「沈黙することを知らない者は、語ることを知らない。」となります。
(山下太郎先生のHPよりhttps://aeneis.jp/?p=2525)
プブリリウス・シュルスの言葉だそうです。彼にはほかにも「人は論じ過ぎて真実を見失う」「じっくり考えることは時間の節約になる」などの名言が残されています。
”沈黙すること”は、自分の内側で自分と向き合うこととも言えます。そこから語られることは、たとえ一言でも人の心に届くものです。そのようにありたいと思う次第です。
一方で、社会生活にはやはり情報の交換も大切だと思います。それでも、その多さに疲れたり、迷ったりしてしまう時には、もう一つ、ラテン語の名言を。
Sanabimur, si separemur modo a coetu.(サーナービムル・シー・セーパレームル・モド・アー・コエートゥー):我々は集団から離れているだけで、心が楽になるだろう。(セネカ)(山下太郎先生のHPよりhttps://aeneis.jp/?p=908)
(Sanabimur「わたしたちは健康にされるだろう(健康でいられるだろう)」coetu「集団」から、separemur「離れる」だけで。(si~modo:もし~すれば、それだけで))
世捨て人になることはないですが、たまにはあえて一人”沈黙”の時間をもてば、それだけでまた本来の自分に戻り、元気になれる気がします。
語釈:
- tacēre: 第2変化動詞taceō, -ēre (黙っている)の不定法・能動態・現在
- quī: 関係代名詞 男性 主格 (~ところの人は)
- nescit: nesciō, īre 第4変化動詞(〈不定法:~すること〉を知らない)の 直説法・能動態・現在、3人称単数
- loquī:形式受動態動詞 loquor, -quī (話す)の不定法・受動態・現在
- sānābimur: 第1変化動詞 sānō, -āre (治す、健康にする)の直説法・受動態・未来、一人称複数 →われわれは健康にされるだろう
- sī : (もし)条件文(接続法を使う)を導く
- sēparēmur: 第1変化動詞sēparō, -āre(分離する)の接続法・受動態・現在、1人称複数 →われわれが分離させられれば(われわれが離れれば)
- modo:副詞 ただ~だけ
- ā:前置詞 ~〈奪格〉から
- coetū:coetus, -ūs m. 第4変化名詞(集団)単数、奪格