Citharoeus:キタラ弾き

Citharoedus ridetur chorda qui semper oberrat eadem.
キタロエドゥス リーデートゥル コルダー クゥィー センペル オベッラト エアーデム

(逐語訳:
いつも(semper) 同じ(eadem) 弦で(chorda) 間違える(oberrat) キタラ弾きは(citharoedus)、笑われる(ridetur))

この文は、古代ローマ時代の詩人ホラーティウス(B.C.65~同8)の『詩論』からの出典です。(山下太郎先生の『しっかり身につくラテン語トレーニングブック』の中に出題されていた文で、教科書では、”同じ~”を表す、īdem, eadem ,idem という言葉のレッスンです。山下先生は、問題文をすべて古典の原文より採用されていますので、問題に取り組むと、同時に名言を読めるので、本当に楽しく学ぶことができます。)

文を見て、どきりとして、すぐ正解できました(笑)。楽器をやっている人は皆さんそうではないでしょうか。いつも間違えてしまう苦手なところは必ずあるものです。なんとローマで紀元前から言われていたことなのですね。ちなみにキタラとは、写真の女性が持っている楽器です。

この文は、しかしながら、大変深い意味を伝えているように思えます。ホラーティウスは、ただ単に、間違えることそのものを非難しているのではないようです。楽器の調子による音程やたまたまのミスに関しては寛大です。何度も同じところを間違えるのにそれを直さないことにNOと言っているわけです。

私は趣味でピアノを弾きますが、練習していると、曲の中になぜかいつも間違えてしまう箇所があるものです。自分は自分に甘いもので、少し練習して1,2回できるようになると、”まあ、いいかな”と、できたつもりになります。でも人前で発表するとやはりそこをミスしてしまうのです。練習のときに、いかに自分に厳しくなれるか、その部分に根気よく向き合うことができるか。ホラーティウスのこの文は、そこまでやったかどうかを指摘しているのではないかと思えてきます。その個所に苦手意識がなくなって、ほかのところと同様にすっかり自然になって、初めて全体をスムーズに奏でることができます。言うは易し…。

歌心のある演奏は心地よく、聴くものの心をどこか素敵な場所へ誘ってくれます。プロの方々は難なくそのように演奏しているように見えますが、その背景には、膨大な練習時間、自分と向き合う厳しさがあるのだと思います。そしてそのことに改めて敬服する次第です。

ラテン語 語釈:

  • citharoedus :「キタラを弾じながら歌う人」第2変化名詞citharoedus, -ī m. 単数、主格
  • ridetur :「笑われる」第2変化動詞 rīdeō, -ēre 直説法・受動態・現在 3人称単数
  • chordā :「弦の腸線で」第1変化名詞 chorda, -ae f. 単数 奪格
  • quī :「~ところの(人)」関係代名詞 男性、単数、主格 citharoedusを受ける 
  • semper :「いつも」副詞
  • oberrat :「間違える」第1変化動詞 oberrō, -āre 直説法、能動態、現在 3人称単数
  • eādem:「同じ~」指示代名詞 īdem, eadem, idem の女性、単数 奪格 chordāにかかる

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